この30年はあまりにも短かった!

たまたま最近あるきっかけで、今の流行りのアセンションについてアネモネという雑誌を読んでみた。
「目覚める」という言葉…

そこに書かれていたことは、まさに私が人生のすべてを賭けてやってきた探求、瞑想、超越、覚醒だ。

私は覚えている。幼稚園か小学校の低学年の頃…風邪をひくといつも同じ夢を見ていたんです。

それってね、目の前にTV画面が現れて、その画面に水でぬれた大きな大木が幾層にも重なっていっぱいになると、右下にパット三つ葉のピンク色の花が咲く

ただ、見ていると限りなくそれが繰り返されていくんです。

しばらく見ているうちにふっと私の心の中によぎった事は、その中に溶け込んでみよう!ってね…

実際その溶け込んだ状態、宇宙の中に溶け込んで何もない感覚…すでに、子供の頃に宇宙意識を体験していたんですよね。(笑)

子供の頃は自由奔放で学校へ行っても先生の話などそっちのけ…遊ぶことしか考えてなかった子供の頃(笑)

それが16歳になって自分に向き合ってみると、家族や親せき、周りを見渡したところで皆が幸せそうには見えなかった。

この世で一番価値があるものは何だろう?自問自答したその答えは、「精神的な物に違いない!」という確信…

それを求めていた10代の頃、今の様にスピリチュアルなんて言葉もなく、しんどかった19歳の頃…何がってそれが全くわからなかったわけです。
何か重いものが自分の内側にあって、原因さえもわからず…別にいじめられたわけでもない…

中学から高校にかけて左腕に力をつけたい!って、馬鹿な事を考えたものだから、それから左腕で重い学生カバンを6年間持ち続けた結果、広背筋のアンバランスを作り側湾症を自ら作ってしまったわけです。(笑)

10代の頃歩いていても何かが変な感じで、肩こりも酷く腰痛もあって、近くの病院で牽引を受けた所、かえって腰がしんどくなりまっすぐな姿勢に立てなくなっていた数日間

病院はダメダ…
そこで、東洋的な針灸、整体、カイロなどなど…治療家巡り…それでもある程度しか改善が見られず、当時日本の二大ヨガ沖ヨガと佐保田ヨガであった、その沖ヨガ系で一匹オオカミの先生との出会いから、ヨガの道に入る事になったわけでした。

体が柔らかかったので、数か月するとあっという間に指導者養成に引っ張られ、わけもわからず1年後には師と共にヨガ指導に明け暮れた。

私が人生で本当に手に入れたかった自由自在な境地、それがヨガ瞑想の道でした。

そう…人生のすべてを賭けてやろう!そこがそもそも出発点。本当にたくさん自分にも行をかして、本当にたくさんの事を実践してきた。

その成果が今、この私を作っている。

ずっと暗闇を手探りで歩くようなものだった。いつも道が見えず…導いてくれる師はいなかった。

最初に出会ったHBHの北所先生の「ヨガは実践だ!実践あるのみ!自分でやれ!」その言葉を言われた20代半ばから、私はもう人に質問する事をやめたのだ。

すべて、実践して答えを出す!それが、知恵の開発につながった。本当に師のお陰である。実践のすべてが身になった。

あ~人生は面白い!

例え今、しんどかったとしても!あなたには眠れる凄い宝があるのだから…決してあきらめてはいけない!

30年つぎ込んできた自分への投資と探求が私の土台を築き上げた。今ではエネルギーが入り込む体になったからこそ!私の中にあきらめる…という言葉はもうない…

2020年1月22日(水)一粒万倍、天赦日が重なった最高の日

「準備が出来た者にゲストが来る…:」和尚(バグワンシュリ・ラジニーシ)の言葉通り、私達は自分の成長に向けて必要な事を出来る限り全てやり尽くすのです!

私は、あなたの中にある素晴らしい可能性を見たいのです!