セッション6サークルオヴライフ内なる世界と現実を統合する。感想
先日のセッションでは、ハートの中心に入っていくということをしていただいて、自分が今まで感じたことのない感覚になりました。
自分の中の本質と繋がるようガイドされたとき、
私の中には「自由」という本質があることに気付いたのですが、
その自由を感じるととても心地よく満たされる感覚があると共に、それを感じてはいけないというブレーキをマインドがかけていることに気付きました。
私が自分を信じてやりたいことに全力を注げないのは、このあたりのブレーキだったのだと思います。
そこからハートの中心へ入っていくようにガイドされたとき、そのマインドが「中心へ入ったらどうなるかわからない、怖い」
と言っていました。
しかし私はそこから、その自由の本質の方にフォーカスをあて、そこから中心に触れてみました。
すると、とても何か今まで感じたことのない、揺るぎないものと繋がっている安心感のようなものを感じました。
サーシャさんの言葉の中で「魂」という言葉が出てきて、それを聞いたとき、私の個人としてのエゴを超えた、何かもっと枠のないエネルギーのようなものを感じました。そのエネルギーと、その揺るぎないものが一体となっているような感覚を感じ、今までに体験したことのない感覚でしたから、とても感慨深かったです。
ありがとうございます。
J子さんの深まる気づきとその答え
それから、昨日気付いたことがあります。
私は、彼に対して、好きの感情と、また子供に対する愛おしさが入り混じっていました。
私が彼と会うたびに苦しくなっていたのは、好きなのに私は東京に戻らなければならずこの恋愛に終わりがくるという悲しい気持ちと、その他にもう一つが絡んでいることに気付きました。
そのもう一つは、子供を私一人で育て導いていかなければならないという重荷でした。
それに昨日気付きました。
彼は何をするにしても判断がまだしっかりとできない子供でしたから、私がいつも気をつけて導いていないといけないような感覚になりました。それは彼を信頼できないということにもつながりますね。
そんなことを続けているうちに、私は精神的に疲れてきたのだと思います。
「私には彼を導いてあげる力も器もない」
そんな気持ちが無意識にあったのでしょう。
彼の言うことにも翻弄されて、全く大人の余裕もなかったのです。
私はいつの間にか、女手ひとつで子供を育てているような気持ちになっていたのかもしれません。
そして関係がうまくいかなくなって彼の気持ちが去ってしまったときに、もちろん彼を失ってとても悲しい気持ちと、
もう一つに、「私は子供の面倒をしっかりと見ることができなかった」という、女としても大人としても失格のらく印を押されたような気持ちになったのだと気付きました。
私は落伍者なのだと、そんな感覚になり、自信を深く喪失したのだと気付きました。
同い年の人や年上、もう少し年齢が近い人とならこんなふうに思うことはなかったでしょう。
年が近ければ、それなりに、上手くいかなくなったのはお互いの落ち度だと理解できたと思いますが、
私の中で彼を子供だとみている部分があり、それゆえ、私の至らなさのせいで相手を傷つけたと感じたのです。
「彼と付き合うと彼の人生をだめにする」
そんなふうに思っていたのは、私が大人としても一人前ではない、自分でまだしっかりと生活も安定することができていない、そんな自信の無さと不安からの考えだったのだと気付きました。
恋を失ったことに相乗してこのような喪失感を感じたわけですから、自分をあれほど責め続けた理由もわかりました。
また一つ理解できました、ありがとうございます。
中心につながり創造的に現実を生きる!エッセンシャルライフコンサルティング・セッション6
セッション6サークルオヴライフ内なる世界と現実を統合する。感想
先日のセッションでは、ハートの中心に入っていくということをしていただいて、自分が今まで感じたことのない感覚になりました。
自分の中の本質と繋がるようガイドされたとき、
私の中には「自由」という本質があることに気付いたのですが、
その自由を感じるととても心地よく満たされる感覚があると共に、それを感じてはいけないというブレーキをマインドがかけていることに気付きました。
私が自分を信じてやりたいことに全力を注げないのは、このあたりのブレーキだったのだと思います。
そこからハートの中心へ入っていくようにガイドされたとき、そのマインドが「中心へ入ったらどうなるかわからない、怖い」
と言っていました。
しかし私はそこから、その自由の本質の方にフォーカスをあて、そこから中心に触れてみました。
すると、とても何か今まで感じたことのない、揺るぎないものと繋がっている安心感のようなものを感じました。
サーシャさんの言葉の中で「魂」という言葉が出てきて、それを聞いたとき、私の個人としてのエゴを超えた、何かもっと枠のないエネルギーのようなものを感じました。そのエネルギーと、その揺るぎないものが一体となっているような感覚を感じ、今までに体験したことのない感覚でしたから、とても感慨深かったです。
ありがとうございます。
J子さんの深まる気づきとその答え
それから、昨日気付いたことがあります。
私は、彼に対して、好きの感情と、また子供に対する愛おしさが入り混じっていました。
私が彼と会うたびに苦しくなっていたのは、好きなのに私は東京に戻らなければならずこの恋愛に終わりがくるという悲しい気持ちと、その他にもう一つが絡んでいることに気付きました。
そのもう一つは、子供を私一人で育て導いていかなければならないという重荷でした。
それに昨日気付きました。
彼は何をするにしても判断がまだしっかりとできない子供でしたから、私がいつも気をつけて導いていないといけないような感覚になりました。それは彼を信頼できないということにもつながりますね。
そんなことを続けているうちに、私は精神的に疲れてきたのだと思います。
「私には彼を導いてあげる力も器もない」
そんな気持ちが無意識にあったのでしょう。
彼の言うことにも翻弄されて、全く大人の余裕もなかったのです。
私はいつの間にか、女手ひとつで子供を育てているような気持ちになっていたのかもしれません。
そして関係がうまくいかなくなって彼の気持ちが去ってしまったときに、もちろん彼を失ってとても悲しい気持ちと、
もう一つに、「私は子供の面倒をしっかりと見ることができなかった」という、女としても大人としても失格のらく印を押されたような気持ちになったのだと気付きました。
私は落伍者なのだと、そんな感覚になり、自信を深く喪失したのだと気付きました。
同い年の人や年上、もう少し年齢が近い人とならこんなふうに思うことはなかったでしょう。
年が近ければ、それなりに、上手くいかなくなったのはお互いの落ち度だと理解できたと思いますが、
私の中で彼を子供だとみている部分があり、それゆえ、私の至らなさのせいで相手を傷つけたと感じたのです。
「彼と付き合うと彼の人生をだめにする」
そんなふうに思っていたのは、私が大人としても一人前ではない、自分でまだしっかりと生活も安定することができていない、そんな自信の無さと不安からの考えだったのだと気付きました。
恋を失ったことに相乗してこのような喪失感を感じたわけですから、自分をあれほど責め続けた理由もわかりました。
また一つ理解できました、ありがとうございます。