天命とは?1人1人が自分の内面に内側にその種を宿しているのです。桜は桜として開花するように…すみれはすみれで開花するように…
しかし社会は個人であるよりも、歯車になり生産性が効率よく働く事を望んでいます。

あなたは社会的な仮面ペルソナをはずし、個人に立ち返る必要があるのです。
それでなければ、やがて自分の天から与えられたユニークな個人であることを忘れ、本当に何を望んでいるか?それがわからなくなるのではないでしょうか?

以下は、光明(エンライトメント)を得たマスター和尚の講和からの1部抜粋です~★

「And Here And Now」第2巻 和尚の講和4より

自然は非常に自然に協力的だ。もし私たちが地獄への道を選べば、自然はその道をきれいにして、私たちが先に進むようにと誘sつてくれる。自然はあなたを止めようとしない。
あなたがそうしたいと望むのに、どうして自然は、あなたが水を氷にしたいというのに、わざわざ蒸発させるようにとしむけるだろうか?

あなたが地獄への道を望もうと、天国への道を望もうと、自然は喜んでその道をきれいにしてくれる。

あなたが生きることを望もうと死を願おうと、自然はいつも喜んでそれに協力してくれる。生きるのも自然だし、死ぬのも自然だ。そしてその2つのどちらかを選ぶあなたの能力も自然だ。もしあなたが自然のこの多次元性を理解できれば、私が言っていることを理解するのは難しくないだろう。

苦しむことは自然だ。同じようにお幸福も自然だ。盲目の人のように生きることは自然なことだし、目を開けて生きることも自然なことだ。目覚めることは自然であり、眠りこけたままでいることも同じように自然だ。

自然には無限の可能性が含まれている。そして、面白いことには、私たちは自然の外側で生きているのではなく、私たちは自然の一部だということだ。私たちの選択lもまた私たちが自分の中にもっている自然な可能性によるものだ。

個人が意識的になればなるほど、その選択の可能性はますます意義深いものになる。個人が無意識になればなるほど、その選択の能力はそれほど意義のあるものではなくなる。

自然には選択の余地のないものごともある。たとえば、日のあたるところの水が蒸発しないでいることはできない。

蒸発しないのはまず難しい。蒸発するかしないかを水が決めることはできない。水が日向にあれば、必ず蒸発することになるし、寒気のなかにあれば、必ず凍ることになる。このことは、つまり、水がこのプロセスを経なければならないということは、水自身はそのプロセスを経ていることは知らないだろう。

というのも、水の意識は低いか、あるいはまったく意識がないか、あるいは休眠しているからだ。

~略~

人間の意識はもっとずっと進化しているために、人間ははるかに大きな選択に直面する。人間は身体で選択するだけでなく、マインドでも選択する。人間は地上での旅を選択するだけでなく、垂直方向の旅、宇宙への旅も選択する。それもまた人間の選択能力の中にある。

~略~

人間にはあらゆる選択が開かれている。人間が意識的になればなるほど、それだけ彼の選択は彼を幸せに導く。無意識的であればあるほど、それだけ不幸に近づくことになる。

選択肢は無限にあり、自然はそれらすべてを可能にする。そして人はそれを選ぶか選ばないかの自由な選択権を持っている。このすべては、しかし、上からのコントロールされているのではない…それは内側から統制されている。

この無限性は、自らの内なる力による爆発力を持ち、あふれ流れている湧水のようなものだ。誰かがそれを前に引っ張っているのでもない。誰かがそれに呼びかけているのでもなく、誰かが前進するように強制しているのでもない。それは途方もない力、途方もないエネルギーを持っている。そして、そのエネルギーは何をしているのか?それは爆発力であり、流れている。それはその内的発展なのだ。だからそこには無限の次元、無限の選択肢があり、個々に選択している無限の部分がある。

しかし、上から全体を統括している支配者のような神はいない。上に座って指示を与えている神はいない、技師はいない。むしろ内なる無限のエネルギーこそが唯一の源泉であり、それがあらゆる展開を引き起こしているのだ。